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『おたく』の研究 「妥協の森」1984年6月号


『おたく』の研究 「妥協の森」1984年6月号漫画ブリッコの世界

「おたくの研究」への反応と反論

「妥協の森」(読者投稿欄)
1984年6月号

『おたくの研究』は結局すったもんだの末に1984年1月号で連載が終了してしまいます。しかしながらこの言葉はその後もその影響力を増大し続けていたようで、大塚氏は再度、「おたく」についての立場表明を行うことになります。

前回(1983年9月)より9ヶ月の間をおいた今回の文章では、「おたく」という語に対して強い反感を持っていることが明言されています。

ここでの着目点は、大塚氏が改めて「おたく差別」批判をせざるを得ないほど、差別用語としての「おたく」という単語が(中森氏の最初のコラムからわずか1年で)根付き始めていたということと、「おたく」差別批判と多少位相をずらしながら述べられている「おたく内部での階級化」が既に発生しているという事実です。

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■最近、マンガ家・編集者のおた
く攻撃が泥沼化してきました。最
初は健全な批判だったのが、今で
はマンガのネタや罵詈雑言のさか
なとなっていて非常に不快です。
同人誌ファンがエリを正すことも
必要ですが、それに水を差すよう
な中傷を繰り返す同人誌の作り手
にも問題があります。この問題に
取り組んでください。
    神奈川果/AHA413

◎この問題については一度キチン
としておかなくてはいけない…と
思っていました。まず、新しい読
者には「おたく」という単語の意味
が不明だと思うので説明しますが
これは以前「ブリッコ」誌上で、
東京おとなクラブの中森明夫氏が
いわゆるロリコンファンやアニメ
ファンを指す蔑称として作りだし
た造語です。これほどあからさま
に差別することを目的として作ら
れた<差別用語>も珍らしいと思
います。
さて、中森氏の「おたくの研究」
についてぼくは担当の緒方に対し
毎回、『不快感』を表明してきまし
た。中森氏の文章は<健全な批判>
ではなく<差別>を目的としたも
のと目に映ったからです。最終的
には登場をご遠慮願うことになっ
たのですが、意外だったのは中森
氏の文章に読者を含めて、相当の
支持者がいたことです。たしかに
感情的な文章と<おたく>という
語の差別用語としての秀逸さ(?)は
無責任におもしろがるには充分の
ものだったといえます。結局のと
ころ、<おたく>なる語はすっかり
定着してしまいました。
413君の指摘するように、最近
中森氏の「おたくの研究」と同じ
レベルのロリコンファン批判が増
えてきました。<ロリコン>の発生
の地ともいえるコミケでさえ、コ
ミックマーケット準備委員会によ
る「コミケット・セレクション」に
そのような主旨の企画ページがあ
ったと記憶しています。
 確かにアニメファンやマニア誌
の読者の行動について首をかしげ
ざるを得ないことも正直あります。
むろん常識ということばで物事を
裁くのはぼくの好むところではな
いけれど、例えば突然、仕事中の
作家の許に”遊びに”押しかけ、あ
げくの果てに「今晩とめてくださ
い」(ちなみに作家は女性、ファン
は男で初対面の相手)などと言っ
たりするのは、やはり非常識と言
わざるを得ないのです。(これは実
話です)また渋谷の某まんが専門
店にも<おたく>少年を揶揄する
はり紙があり、これはかなり心な
いものですが一方書店の立場に立
てば、店内で数人が集まり本を買
うでもなくさながら同人誌の集会
風に雑談を延々とされる…という
のは歓迎できない行為だろうと思
います。そのようなモラルに欠く
行為は、当然キチンと諌められる
べきものと思います。
 しかし、いわゆる一連の<おた
く批判>は、彼らに対する根拠の
ない侮蔑という印象を受けます。
罵倒でしかないわけです。例えば
創作系同人誌の<ロリコン>に対
する蔑視は、明らかに<創作系>
の<ロリコン同人誌>に対する優
越感がその背後に見えかくれしま
す。また、これら<おたく>批難
は、彼らが絶対に反撃できないだ
ろう…という前提にたっているよ
うにも見えます。最近、新聞など
で見かける、小学生の弱い者いじ
め――クラス中で、一人の子を徹
底的にいじめぬく。いじめられる
子は身体が弱かったりする弱者で
あることが多い――と同じふるま
いのような気がします。
ぼくが<おたく>批難に不快の
念をいだくのは、前号でも書いた、
世の中には様々な価値があり、ひ
とつの価値を絶対としその立場か
ら他を否定することは許されない
というごくアタリマエの考えから
です。ぼくにとっては<おたく>
批難も「ブリッコ」を没収する教
師も、中曽根内閣の<少年の性雑
誌規制>とやらも同じものとして
映るわけです。
 人は多分、自分の依る所の価値
でしか物事を見れないのだと思い
ます。それは仕方のないことで、
ただ、他にも様々な価値のあるこ
とを認め、時に、別の<価値>か
ら自分の<価値>を計り直すこと
は可能です。<おたく>批判もその
様な上に成り立つものであってほ
しいし、一方、まんがファンの人
たちも自分たちのふるまいを第3
者の目から見つめることは決して
無駄でないと思う。
 かつて文学から差別されその結
果、閉鎖的な社会を作り出してし
まったSFファンの二の足はふん
でほしくない。できることなら、
ここをスタートラインに遠くに行
ってほしい。スタートラインが、
<ロリコン誌>であることは恥で
はない。問題はどこまで駆けぬけ
て行けるかだ、と思う。(読者欄な
のに長々とごめんね。