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おたくの研究――総論


おたくの研究――総論漫画ブリッコの世界

おたくの研究――総論

by江冶ソン太
(1983年12月号)


※下記の文章について
この文章は「漫画ブリッコ」内において発表された文を当時のまま掲載したもので、当サイトのポリシー・意図を反映したものではありません。
できれば先にこちらをお読みください。

「ぼく達おとなになりたくない」
 さる有名マンガ系ミディコミのヘッドコピーだが、この一文は実に
的確にマンガマニアの本質を言い表している、といえよう。マンガマ
ニア、アニメファン(マニアっていうと随分と重い感じだけど、ファ
ンっていうといかにもC調だね)ロリコンに一貫している体質に、何
としても成熟したくない、ひたすらモラトリアム状態をいついつまで
も保ち続けたい、というものがある。もっともこれは誰しも持ってい
る気持ちで、それはボクもアナタも大会社のシャチョーも同じなんだ
けど、「おたく」の場合ことされそれが強く、ひとたびそのモラトリ
アム志向を指摘されると、10年来の古傷に触られたように過敏に反応
して、時には理論武装しちゃったりして、いかに大人にならないコト
が大事か、ということを説いたりする。
 そんなわけで、皆、マンガ・アニメ文化圏にこだわり続けて、あれ
これちょっかい出してくるオトナに「放っといてくれっ」なんて言っ
て、ひたすらミドルティーンのレベルの思考・感性を保ち続けようと
している。多分、キミはそれを「子供の気持ちを持ち続けること・純
粋な視線を保ち続けること」だと言うだろうが、残念ながら明らかに
それはまちがっている。子供の物の見方、と思春期の人間の物の見方
というのは全然違う。よく年寄りが思春期が如何にヨイ時期であった
が、なんぞと述懐することがあるが、あれは当人たちが回春作用を求
めているだけの話で、思春期の人間というのは実は元来非常に醜いも
んなんである。やたらに思想を持ちたがる年頃でもあるし、せっくす
に目ざめて未熟な前戯で失敗したりもする。フツーの場合、それで、
背のびして大人ぶったりして、段々ホンマモンの大人に近づいていく
んだけど、「おたく」の場合、精神的な面での、総合的な成熟へと向
かうベクトルを一切断っている。結果として残るのは未熟な自己主張
に未熟な思想などなど、未熟と固着のオンパレードとなる。
 実のところ、思春期にはそれ程固執するほどのサムシングはない。
確かにその時期、今までの何の気もなしに読んだり見たりしていたマ
ンガやアニメに、作っている連中の奥深い部分でのコンセプトやなん
やかやが突然、見えてくる、という現象がある。それで聡明になった
のは確か、だが、その時点に留まり続けても何の展開もあろうはずは
ない。やはり大人を目指さなくてはならないワケだ。
 現実問題として、ロリコン雑誌見てニヤツいてる自分を鏡に写して
ごらん、やっぱり不気味なもんだぜ。ましてや、それで大マジにマス
かいてたりするとなるとあまりめでたいとは思えない。
 それで、そういうさびしいお子達、「ちょっとだけ違うお子」が群
れなしておたく集団と化すと実にたまらない、という訳だ。さるロリ
コン漫画家が「おたく少年達も、現実には女の子と仲良くなる機会は
幾らでも転がってるんだから、みんな暗く閉じこもってないで積極的
になればいいのに」と言っていたが、まさにその通りなのだ。
 いずれにせよ、人間誰しもモラトリアム期間のまま一生をすごす、
ということはできない。いつかは、大人にならなくてはならないわけ
で、それに気の持ち方次第でモロモロの社会的アツレキをすり抜けて、
気持ちだけは子供、ということもできるわけで、それはおたく的固執
からなるアイマイな視座よりは数段クリアでピュアなものも可能だろう。
 というのが、我々ちょっとだけオトナのおとなクラブの見解なのだ。