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漫画ブリッコとは?


漫画ブリッコとは?漫画ブリッコの世界

でもただのエロ本だったんだよ。どうしようもないぐらい。

~大塚英志のおたく社会時評より~

「漫画ブリッコ」は、1982年にセルフ出版から発刊されました。(その後セルフ出版の倒産に伴い白夜書房が版元になる)

刊行当初は、当時成年向けコミックの主流であった「エロ劇画」をメインに、多少ひねりを効かせた文化コラムなどを配置した、いわゆる「三流エロ劇画誌」の流れをくんだものでした。

ところが1984年の5月号から、「漫画ブリッコ」は全面的な誌面刷新を行います。
版型と雑誌名以外は全く新しい雑誌になったと言っても過言ではないでしょう。
その内容は、当時一部の漫画マニアの間で語られ始めるようになっていた「ロリコン漫画」をメインにすえたものでした。

「ロリコン漫画」とは、70年代の終わりごろから発生した、それまでのエロ劇画が「大人の男性と女性」の性的関係をテーマとしていたのに対して「男の子と女の子」の性的関係(あるいは女の子に対する性的妄想)を中心としたコミックのことを指します。
画風もそれまでのがリアルタッチでグラマラスな女性を描写していたのに対して、明らかに手塚治虫~初期の宮崎アニメ(未来少年コナン、カリオストロの城)に影響された、丸っこいディフォルメされた線で描かれた女の子たちが活躍していました。内容的にも、現実的な設定よりもSFやファンタジーの世界観を借りた作品が好んで描かれました。
作家では「ロリコン漫画の神様」吾妻ひでおを筆頭に、内山亜紀など、何人かは商業誌への進出を果たし、1982年には「ロリコン漫画」の先駆けといえる雑誌「レモン・ピープル」が創刊されましたが、一般にはまだマイナーな存在でしかありませんでした。
しかしながら、吾妻、内山に続く世代が同人活動などを通して次第に大きな流れを作るようになっていきます。

リニューアルした「漫画ブリッコ」は「夢見る男の子のための美少女コミック誌」を標榜して、こうした「ロリコン漫画」の次世代、谷口敬、ひろもりしのぶ、計奈恵らを中心作家として擁していました。
また、この雑誌は特筆すべき点を備えていました。それは「インキュベーター(新人育成)機能」 です。

「漫画ブリッコ」の編集は緒方源次郎と大塚英志の、ともに気鋭のフリー編集者が担当していましたが、彼らのメガネにかなった、当時はまだ無名の多くの若者が「ブリッコ」を舞台に作品を発表し、その才能を開花させました。
主なものを挙げると、

  • 岡崎京子、桜沢エリカ、白倉由美の「女子高生まんが家トリオ」
  • 中森明夫による「おたくの研究」(「おたく」という単語が始めて使われたコラム)
  • かがみあきらを変名「あぽ」名義で表紙・連載で起用
  • 藤原カムイらのニューウェーブ作家の登用
  • 竹熊健太郎のマイナーコミック紹介(現在の復刊ブームにつながる)
  • その他多くの作家を輩出(詳しくは「漫画ブリッコNow & Then」を参照)

「漫画ブリッコ」は1986年2月号をもって休刊となりますが、そこから巣立っていった作家たち、そこで行われていたさまざまな試みはその後のコミックの流れ、ひいては日本の文化のある側面に大きな影響を与えることとなります。
もはや"Otaku"は国際語となっていますし、コミケ、同人活動がここまで大きな規模になった基礎は「ブリッコ」作家に負うところ大です。岡崎京子や白倉由美の作品は日本の現代文学史として語られるようにもなっています。


このサイトを開設した当時は、「漫画ブリッコ」について、まともな評論はおろか、きちんとした紹介すらありませんでした。現在のカルチャーがこれだけ大きな影響を受けているのに・・・・。
大塚氏の言うように「漫画ブリッコ」は本当に「ただのエロ本」だったのか、現在の目から見て正しい検証と位置づけが必要な時期に来ているのではないでしょうか。このサイトがそのための一助となればと思います。

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