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雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム1983年11月号


雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム1983年11月号漫画ブリッコの世界

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ブランド・ニュー・エイジに贈るプリミティブ読書ペーパー
若い読書

中森明夫(東京おとなクラブ)責任編集
全国高校生読書委員会・編

『広告批評』の広告の批評はどーしてあんなにつまんないんだろう?

 ハッキシゆって、今コピーライターになりたいなんて思ってる奴って、もぉサイコォにだっさいと思うんだ。いるじゃん、「今、広告じゃないの」なんて、これ見よがしに『広告批評』片手にウロウロしてる奴って。あーゆーのって、やっぱ、おっかしいよ。
 
普段はパラパラと立読みするぐらいの『広告批評』を、『東京おとなクラブ』の中森明夫先生に大量に借りてきて読んでみたんだけど、おどろいちゃったね。なーにぃ、あの最後のとこにくっついてる広告の批評は。ニブイもいいとこじゃないよぉ。TVのCMなんかをサカナにして、私達が学校で喋ってることのほうがよっぽど程度が高いじゃん。
「ねぇねぇ、なにアレェ、東京モード学院のコマーシャルって」
「ああ、シャツをはくとシャンツになるってやつね」
「どーゆー神経してるんだろうね、モードとかセンスのおベンキョーしに行く人があんなCM見て行くと思ってんのかね、あれじゃまるで『イコール』の表紙だよ(笑)」
「いや違うと思うな(キッパリと)、アレはねわざとやってんのよ、あのCMでなおかつモードを勉強しようってやってくる奴なんて、もぉよっぽどニブイ奴じゃない。そんな奴相手ならどんないいかげんな授業やろうと、なにやろうと誰も文句言わないでしょ、あのCMはそれを狙ってんのよ。」
一同「スルドイッ」
 
とにかく各界の有名人の方々に、そのへんのコトについてコメントをもらっちゃいました。「あそこのページ全部ひっくるめて広告批評の自社広告ページなんじゃないですか」(石田陽子さん・『イコール』編集部)、「『広告批評』は前の部分がおもしろいわけで、あそこは広告の技術批評なわけですよね。かつてあった批評よりは一歩進んではいるけど、もうちょっと深いものは感じられないですね」(山崎浩一さん)、「今のナウイ方向性は意味のズレであると、あそこでは、そのズレは正しい正しくないと言ってしまっている、正義はいいんだと言ってしまっているのはまずいんじゃないかな」(栗本慎一郎さん・経済人類学者)「『広告批評』の広告の批評がつまんないのは、『スタジオ・ボイス』のインタビューがつまんないようなもんなんじゃない」(佐山一郎さん・『スタジオ・ボイス』編集長)、「糸井は今多忙でコメントにはお答えできません」(東京糸井重里事務所)
 
うーん、なるほど。『広告批評』って読んでみて思ったんだけど、そんなに悪い雑誌じゃないよ。私達高校生のお小使いじゃちょっと高いよーな気もするけど。ただね、だからってさー、みんながみんなコピーライターをめざさなくてもいいと思うんだ。私達って、それこそ生まれた時から、廻りに広告やアートやビジュアルやなんかがあって、それを空気みたいに感じてて、そんな中をポップにハネ廻ってたみたいな気がするの。そして、そーゆーことのほうが、”ことば”にしないで無意識に知っちゃってることのほうが、はるかにステキなことなんじゃないかな、なんて思ってしまうんだ、ね、わかるよね、広告学校の試験に落ちておちこんでるエミちゃん。
 
とにかく7・8月号の『マンガ形式による現代文化論』なんてサイアクだったね。昔、学習マンガってあったけど、あんな感じ。小学校の頃、マンガばっか読んで全然勉強しない私のことを心配してか、母親がその学習マンガってヤツを買ってきたんだけど、それ見て私泣き出しちゃったもんね。
「そんなのいらないわよ。そんなの読むぐらいなら、ちゃーんと教科書で勉強したあとで思いっきりマンガ読むわよ」なんてさ。
野々宮真貴

あの「太陽の季節」の石原慎太郎氏おおいに語る

9月某日、テレビ朝日のエキサイティング・トーキング・ショウ、『TVスクープ』において”昭和ヒトケタ世代おおいに語る”なるプログラムが放送された。田原総一郎を司会に、左側に小田実、野坂昭如、右側に浜田幸一、石原慎太郎が席を占め、教育、軍備、憲法の問題まで熱っぽく語られた。浜田氏と小田氏が、それぞれを「共産党の黒幕」「漫才師」などとののしりあうひと幕もあったものの実はこの日、もっともホットな発言をして若い世代を刺激したのが、あの「太陽にほえろ」じゃなかった「太陽の季節」の石原慎太郎先生であったのだ。
「日本の若者には理想ってものがないよたとえばアメリカじゃスピルバーグがね、『未知との遭遇』なんてウェルズ以来の宇宙人観を一変させた。宇宙人は敵じゃないんだ、地球人の味方なんだ、アメリカ人の味方なんだ。それにフリスビーですよ、フリスビー。アメリカの若者達は非常におもしろいものを考えだすもんだねぇ、僕もやってみたんだけどこれがおもしろくてね。」
 
田原氏が「フリスビー?」とけげんそうな顔をすると、「えっ、フリスビー知らないの、古いなぁ」などと苦笑して「フリスビーはサイコーです、それにスケートボーダーね、あれが難しいんだ、スケートボーダーが」とボーダーを連発して、出演者をケムにまいていた。(アンテナキッド)

ニュー感覚コミックス紹介 桜沢エリカにムチュー▽(ハートマーク)

今いっちゃん気になるマンガ家は桜沢エリカ。話しによると彼女はまだティーンエイジャーのなかなかの美少女なんだそーだ。『BOOM』10月号にのった「SPEAKING IN TANGUES」には参ったね。ちょっとさべあのまや高野文子の影響も感じられるけど、感覚としては確実にもう一世代新しいって感じがする。今んとこ「コレクター」と「漫画ブリッコ」にのった3作ぐらいだけど、どれも当り前の女子高生のあたり前の日常を描いてサワヤカだ。
 
エリカちゃんに関するゴシップを一つ。新宿駅構内にエッキー君という出口表示人形があった。駅員の帽子を被った、顔が2つ手が4つあるという、巨大なフリークス人形だった。ぼくも秘かに、このエッキー君のファンで、もう2年もある女のコと新宿で待ち合わせする時は必ず、「エッキー君の前ね」なんてやっていた。ところが、この夏、突然そのエッキー君が新宿駅からいなくなってしまったのである。同じくエッキー君ファンであったエリカちゃんは、あまりの驚きに新宿駅の駅長室に押し掛けて「エッキー君をどこへやったの」なんて問いつめたのだそーだ。上には上がいる。ねぇエリカちゃん、エッキー君捜索委員会を作ろうよ。
(中森明夫)