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雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム1983年7月号


雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム1983年7月号漫画ブリッコの世界

※下記の文章について
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「本に関する情報」

★横浜は伊勢佐木町に高野文子アカデミーとゆう美容と健康を志す人のための、ジャズダンスやエアロビクスダンシングの学校があるのだけれど、えと、そっちじゃなくてマンガ家のほうの高野文子ちゃんのおハナシね。第一作品集の『絶対安全剃刀』が日本漫画協会賞新人賞かなんか取っちゃって、かの吉本隆明大先生(こちらもロック・ミュージシャンのほうじゃないよ)も絶讃したりしてる彼女ですが、遂に一年半振りの第二作品集『ヲトモダチ』が綺譚社から六月中旬に出るよ。ブック・デザインもステキそうだし、アメリカン・フィフティーズのラブ・ストーリー『ボビー&ハーシー』や、『プチ・フラワー』四月号に一挙掲載されて大話題の長編大正ロマン『春ノ波止場デウマレタ鳥ハ』なんかも収録されちゃう。これはもう期待五十丸!!

★去る五月九日、青山葬儀場において寺山修司氏の告別式があったのだけれど、中森明夫君も行って参りました。それでやっぱりあの報道陣というやつが結構すごくて、テレビカメラなんかもバンバン来てて、アフタヌーンショーでおなじみのレポーター、須藤・佐々木コンビなんかもいたりしてね。それでその佐々木氏は紺のスーツに、なんとスニーカーなのね。これはやっぱストーンズやウディ・アレンのファッションとゆうよりは、逃げ足の早い芸能人を追っかけるタメとゆう純粋に実用的側面から考えたほうがよろしいんでしょうね。で、その報道陣の前を行ったり来たりウロウロしてる風采のあがんない中年のオッサンがいるのね。仲畑貴志をもうちょい先祖帰りさせたようなそのオッサンは、なんとあの『ものぐさ精神分析』の岸田秀博士でした。でも報道陣はだーれもカメラ向けようとしないで、原田芳雄とか唐十郎とかの方へ行っちゃうんだよね。秀ちゃんカワイソ?(ハート)

★『東京おとなクラブ』第2号は売り切れ間近、第3号は七月下旬発売予定で、なんと懐かしのウルトラQ大特集なのだ。ということで四月某日、編集長のエンドウ氏宅で四日間にわたり、全28話完全視聴ビデオ上映会ウルトラQマラソンが行われた。なにしろ最終日は四畳半に十人という極限状態のうえ、再三アパートの大家からの苦情がペギラのおたけびの間に間に聞かれ、観客の恐怖心をいやが上にも高めていた。

★お待たせ!中森明夫君の近況報告▽(ハートマーク)えと、かのセルフ出版から出てる『漫画ブリッコ』で『おたくの研究』とゆうコラムを連載しております。『おたく』ってのはまあウジウジネクラマニア少年の総称なんだけど、連載開始直後に自ら我こそは『おたく』なりと名乗る読者から中森明夫大批判が寄せられ連載続行が危ぶまれてる状態とか。で、遂に編集室を確保し完全隔月刊化を目指す『よいこの歌謡曲』の噂の美少年編集長、梶本学君を『スタジオ・ボイス」編集長、ミスター佐山と共にインタビュー致しまして、これが現在発売中のSV誌7月号に載っかってるんで読んでね。ルン。『東京おとなクラブ』2号に載った、中森明夫ハウツー講座『ナンパしないでもてるには・文通編』に対して、『宝島』のユーメイライター松田融二氏より抗議電話がありました。『メディア・レビュー』改メ『イコール』誌上にて対決しようとか、悪い芽は早いうちにつんどいたほうがいいとかナントカ、相手は町田町蔵でもよかったとかナントカ、ワケのわからないことを喋っておりました。さてどうなることやら。