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雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム1983年9月号


雑誌『さーじゅ』における中森明夫氏のコラム1983年9月号漫画ブリッコの世界

※下記の文章について
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また、この文章の著作権は、中森明夫氏にあります。

「本に関する情報」

(東京おとなクラブ特派員)中森明夫

★お待たせ!奇跡のハイ・クオリティー・マガジン『東京おとなクラブ』第3号がいよいよ発売される。編集長のエンドウ氏によると、8月7日には確実に出ているであろうとのこと。今回の目玉は堂々32ページにわたる総力特集”ウルトラQの世界”。座談会には、ヒカシューのメンバーで話題のLP『ゴジラ伝説』を製作した井上誠をはじめ、『ヘリウッド』の長嶺高文、『2B弾・銀玉戦争の日々』の米沢嘉博他。マンガ陣は、吾妻ひでお、火野妖子、ひさうちみちお、夏目房之介と今回も強力布陣。その他、高取英、村上知彦、竹内義和、遠藤賢司、杉浦日向子、丸尾末広、根本敬、竹中仁貝(サロン・ミュージック)とオールスターメンバーに加えて、本誌・中森明夫先生も『前頭葉切除女子大生の系譜』を寄稿された。表紙はまもなくけいせい出版よりイラスト集が出版される昭和の絵師、吉田光彦。発売当日には書店がパニックにおちいるであろうといわれるほどのとんでもない表紙だとか。ちなみに、あのメジャー雑誌『よい子の歌謡曲』に続いて、ついにおとなクラブも編集室を持ってしまったのだけれど、大丈夫かしら。
  連絡先は〒101・東京都千代田区(実際の住所が記されていますがここでは割愛しました・管理人)なお3号は、定価390円+送料200円で振替番号・(割愛)エンドウユイチまで。よろしくー。
★6月17日午後2時20分頃、新宿は紀伊國屋書店で、あのビートたけし氏が本を物色しておりました。帽子をかぶってたりして、まわりの人は気づかなかったみたいだけど、本を立ち読みする彼の背後に漂う、その異常な殺気にビクッとしてしまった。本屋であれほど真剣な目で本を立読みする男には出遭ったことがない。恐いのだ。で、たけし氏は4冊ほど本を買われ、連れの学生ふうの女性と書店を出た。そろそろ、その頃になると、彼の存在に気づく奴らもでてきたりして「おっ、タケシじゃん」「つけてみようか、でもなんであんな女連れてんだ」なんてザワザワしだす。あんな女というのは、メガネをかけて、白いハイソックスの、ホントにフツーの女子大生といった感じの女のコなのであった。二人はそそくさとNEW・TOPSの中へと消えていったのだが…。
  ちなみに、ビート・タケシ氏が買われた本は、三橋乙椰著『科学マンガ・笑えいっ!!科学の法則集』(創拓社)、有園幸生『戸塚ヨットスクール・地獄の曳航』(レインボーフォトノベル)、『PSI(サイ)・その不思議な世界』(日本教文社)、折橋徹彦著『やりにくい相手とうまくやる法』(日本実業出版社)の以上4冊でありました。
★新しく創刊する若者向け読書雑誌を手伝ってくれということで、橋本治氏をインタビューしに行った。西武線は石神井公園の橋本氏邸で行われた(なんと表札には「橋本治の家です」なんて書かれていたのだ)インタビューは、それはそれは盛り上がったものになった。特に、橋本氏がまだやっていないか、あるいはやりかけになっているという、今後のお仕事の将来的展望というのがスゴかったのだ。なんと、『春って暁よネー」っていう枕草子や源氏物語の全巻現代語訳や、『橋本治の手編みのニット教室』なんてのまであるんだゾ!)。インタビュー後、二階の怨念漂う「あかずの間」に招じ入れられてビックリ。そこには、書きかけや未発表の原稿がうず高く積み上げられてたんだよね。その量たるや、それはそれは途方もないもので、たとえば、お詫び広告まで出た『熱血シュークリーム・下巻』用の書きかけ原稿の、その膨大なことといったら…。『桃尻娘』全六部作は三部以後の小見出しが、もうすでに出来上がっちゃってたし、ヨーロッパの美術史を書くための予定表なんてのもあったしね。
  インタビューを終えて帰る西武線の電車の車中で、我々は、治ちゃんのエネルギーに圧倒されてくたくたになりながらも、これはタイヘンなことになったゾなんて言い合ったものだ。本来ならば史上最高の治ちゃんインタビューになるはずであったのが、その某誌主催者側の記事としての取り扱い方の面で、完全にトラブってしまった。だってねえアンタ、あんなステキなインタビューや、今後の恐るべきお仕事予定なんてのを聞いた後に、ありきたりの作品紹介だの「橋本治を読んでない初心者のためにも分かりやすくマニア的な部分はカットして作品紹介も加える」なんてことができますか。笑われちゃうよ、ホント。で、非常に残念ながら、インタヴューからは僕らの名前ははずしてもらうことになったんだけど、なんか割りきれない気分だったね。ま、治ちゃんに会えただけでもいいけどさ。
  ところで、あの人生論の不朽の名作『シンデレラボーイ・シンデレラガール』(北宋社)は、なんとたった4日間で書かれたんだって!「装幀を頼んだ糸井重里さんに生原稿見せたら、文字のトーンが最初から最後までおんなじなのにビックリしたんだって、あたりまえだよ、4日で書いたんだもん」だってさ、スゲェ~~。
  この恐るべきインタビューのもようは個人的に完全ノーカット版マラソンインタビューとしてコピー誌にするつもりなんで、キョーミある方は連絡して下さいね。
  〒180 東京都武蔵野市(実際の住所が記されていますがここでは割愛しました・管理人)中森明夫(TEL・0422-(割愛))まで。