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あぽ こと かがみ・あきらさんが亡くなったことについて。(漫画ブリッコ 1984年10月号)


あぽ こと かがみ・あきらさんが亡くなったことについて。(漫画ブリッコ 1984年10月号)漫画ブリッコの世界

あぽ こと かがみ・あきらさんが

亡くなったことについて。

読者の皆さんに悲しいお知らせをしなくて

はならない。

  あぽことかがみ・あきら先生(本名・鏡味

晃さん)が、8月9日、急逝された。慎しん

で、お悔み申しあげるしか術はない。

  今の時点ではっきりしている事実だけを読

者の皆様に報告したい。8月5日から6日に

かけて、かがみ先生は体調をくずされた。友

人やアシスタントの人たちが連絡をとってい

たが、その時点で入っていた仕事を急拠キャ

ンセルして、高田馬場の自室で休養をとる…

ということであった。翌7日にはアシスタン

トのF君が先生にたのまれ、くだものを届け

たが、一人で休みたい…とのことだったので

帰宅した。7日夕方から8日にかけて、各誌

の編集部に先生が体調をくずされている旨、

友人の方を通じて情報が入り、彼のマンショ

ンをたずねているが応答がなく、9日午後、

関係者がドアのカギをこわして彼の部屋に入

ったが、既に亡くなられた後だった。死亡か

ら2日、たっていた…ということだ。

  まだ正式な死因もわからず、また、葬儀さ

えも終わっていない現時点で彼の死について

活字にするのはどうかと思われたが、コミケ

ット等、まんがファンの動さが活発な時期だ

けに、噂の形で伝わるよりは…と考え今の時

点で明らかな事実だけを御報告した。

  さて、一部の読者の人たちは気がついてお

られたと思うが、あぽ先生とかがみ・あきら

先生は同一人物である。より正確にいうなら

「あぽ」というのは、かがみ先生が作られた

架空の人格、架空の作家であった。

  何故、この様なことを先生はなさったのか。

一応、世間的には、「ロリコン誌や同人誌では

あぽのぺンネームを使っています」と答えて

おられた様子だが、”もう一人の自分”を作り

出さなければならなかったのは、先生の中に

作家として2つの方向性があったからだった。

すなわち、かがみ・あきら…という名前は、

SFまんがや、メカニックデザインの部分で

読者やファンから高い評価を受けていたわけ

で、実際、周囲もそういう方面で彼の才能が

発揮されることを望んでいた…と思う。

  しかし他方で、陸奥A子や萩尾望都、松苗

あけみ…といった少女まんがを読んでまんが

を描きだした、まんがファン鏡味晃という部

分が確実にあったわけだ。それを先生は「あ

ぽ」と名付けたのだと思う。

「ワインカラー物語」はオーツカ某とあぽの

かけあい漫才だけの作品の様に思われがちだ

が、そういう「冗談」にはさまれてさりげな

く語られるラブストーリーは、確実にかがみ

・あきらの中に、少女まんが家の資質があった

ことを物語っていた。(だから、「ワインカラー

物語」の単行本は出したかったのだ。)あぽと

彼がメガネを割った少女の出会いと別かれに

ついて彼は都合、三度、作品にしているけれ

ど、それは、彼が「描かなければいられない」

と切実に思っていたモチーフだったようだ。

  実際、彼自身、近頃は「少女まんが誌に行

きたい」ともらしていた。今となってはかな

わぬ話だったが、人を介して『ぶ-け』でや

らないか…という話もあったのだ、ぼくも、

彼にもう一度、「ワインカラー」を充分なペー

ジでやり直そう…と彼と話あっていた最中だ

った。

  あまりにつきなみな言葉しか出てこないけ

れど、本当に「これからだった」のに。

  考えてみれば、「オーツカ某」というキャラ

クターを作ったのも彼だった。確かに口走っ

た記憶はあるけれど、ぽくのキャッチコピー

(?)となった「編集は妥協だ!」を世に知らし

めたのは彼である。困ったものだった。(と過

去形にしなくてはならない)普通、編集者が

作家をのせるものだが、作家にのせられた編

集者というのもなさけない。オーツカ某のキ

ャラクターはその後、色々な作家たちが描い

てくれたけど、当事者として一番、おもしろ

かったのは、やっぱり、あぽ先生の描いたオ

ーツカ某だった。何しろ言ったおぼえのない

セリフでも、彼が描くといかにもぼくが言っ

たように聞こえる。いや、つい、本人も言っ

た気になってしまう。困ったものだ。

  彼の担当の一人として、体調をこわしてい

た彼に充分な対応をしてやれなかったことを

申しわけなく思う。悔んでも悔み切れない気

持でいっぱいだ。

  明日(12日)、名古屋で行なわれる葬儀には、

どうしても行きたいという森野うさぎさんと

白倉由美ちゃんを連れて、仕事の都合で出席

できない人たちを代表して、お線香をあげて

くるつもりだ。編集者としては彼の替りに表

紙を誰が担当するか等、考えなくてはいけな

いこともあるがせめて初七日が過ぎる迄は何

も考えたくない、明日は友人の一人として行

くつもりだ。

  尚、編集部宛に届いたファンレターは御遺

族の手許に責任をもって明日、届ける。

  先生の御冥福を心からお祈りしたい。

            8月11日 大塚英志

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